農地改革・サンフランシスコ体制・食料増産から、農業基本法による「自立経営」育成へ。
しかし基本法農政は 3 つの失敗(規模拡大の頓挫・選択的拡大の蚕食・米過剰)に直面し、減反政策へと展開していく。
第 2 部では、戦後日本の経済成長過程のなかで 農業問題がどのような位置づけを与えられ、いかなる農業政策が実施されてきたかを概観する。
農地改革・財閥解体・サンフランシスコ体制・食料増産・傾斜生産方式・ドッジライン・朝鮮戦争特需
重化学工業化・太平洋ベルト地帯・三層の格差構造・農工間(所得)格差・集団就職・基本法農政
経常収支黒字化・自動車・家電の交代・農村工業立地・兼業滞留構造・基本法農政の失敗・減反政策へ
戦後民主化改革と冷戦構造のもとでの日本農政の再出発
地主制は 戦前の日本軍国主義の温床 とみなされていた。 高率現物小作料による農民層の購買力のなさ、満蒙開拓 ― これらが農地改革の歴史的背景である。
マンガ『ナニワ金融道』の作者である 青木雄二氏は戦前の地主制をこのように描いている:
「…ほんの五十年前まで、地主と小作人の関係がありまして、土地所有者である地主は、 時たらざる小作人に田を貸し与えることで、ひどいときは 収穫されたお米の 6 割を手に入るといったことが行われていたのです (今のサラ金の金利は高いというが、とてもサラ金の比ではない)」
現代のサラ金以上に苛酷な収奪構造 ― これが第 2 部の出発点である。 農地改革なしには戦後日本の高度経済成長はあり得なかった。
サンフランシスコ平和条約 + 日米安全保障条約 = 日米安保体制の確立。 「対ソ封じ込め」という冷戦構造のもとでの米国からの支援。
マーシャルプランによる経済支援と NATO 結成
「対ソ封じ込め」の経済的基盤としての西欧経済復興
経済支援と 反共防壁化 ← 農地改革の一側面(農村の保守化)
MSA 協定(相互防衛援助協定) 締結。軍事費は負担しないかわり基地を提供するのが日米安全保障条約
講和条約は「全面講和」ではなく 「片面講和」であった ← 「冷戦」「熱戦」
戦後すぐは 恒常的な食料不足。外貨準備がほとんどない中、 「食料増産」が至上命題とされ、これを救ったのが米国からの食料援助であった。
食料増産・過剰人口対策・地主制打破を目的に農地改革が行われた。 「所有は砂をも金に買える」と言われるほど、土地への執着が強い時代であった。
低米価供出(政府に一定数量を安価に供給する義務が農家に課せられた)。 低米価は低賃金の基礎であり、これを梃子に インフレーションを抑えて国際競争力の強化を図る。 高度経済成長により農村過剰人口問題解決への目途がつくが、外貨保有高にはまだ余裕がなく、 米も不足局面にあった=自給できていなかったことから食料増産政策は継続される (この話は次の「8」の時期になる)。
石炭・鉄鋼の生産回復を優先して拡大再生産を目指す。 昭和 22 年にあらゆる経済政策は石炭生産と鉄鋼生産に集中させ、 その効果を投資的に他産業に波及させていく傾斜生産方式を採用。
戦後の猛烈なインフレーションの収束を図りつつ経済・財政の再建を目指す。 超均衡・緊縮財政の確立と資金貸付制限。 1 ドル=360 円の為替レート(固定相場制)。
昭和 24 年にジョセフ・ドッジ(デトロイト銀行頭取)が来日、国債償還など超緊縮手段を募む → インフレは収束したが 倒産は相次いだ。
← ドッジラインによる大不況を救ったのが朝鮮戦争による特需だった。 昭和 25 年に勃発した朝鮮戦争で戦争特需が発生、輸出が増加するとともに鉱工業生産は著しい回復を遂げる (1945〜49 年朝鮮特需:3 年間で 10 億ドル)。
激烈なインフレーション、ドッジラインで終息するも不況。庶民は 「タケノコ生活」: 戦災を免れた衣料品(着物)を売って金に換え、ヤミ市や買い出しで食べ物と交換。 タケノコの皮を割くように何枚も買い貸していた。
昭和 21 年に 預金封鎖でインフレ収束を図る。新円切り替えで現金を一旦消滅させる ― 引き出しは世帯主 300 円、家族 100 円まで。毎月 1 升(1.5kg)63 円だった。 現代の私たちには想像しがたい厳しさだが、これが戦後日本経済の出発点だった。
リーディング産業の交代と農工間(所得)格差問題の発生
高度経済成長期はリーディング産業の交代によって 2 つの時期に分けることができる。 第 1 期:重厚長大・装置型産業(鉄鋼・造船・石油化学)。
景気上昇 → 輸入増大 → 貿易収支・経常収支赤字 → 金融引き締め → 景気後退 → 金融引き締め解除 → 景気上昇という景気循環からの脱却には、 外貨獲得=貿易収支・経常収支の恒常的黒字基調への転換が至上命題とされた。
「投資が投資を呼ぶ」設備投資型の経済成長。民間設備投資が経済成長の牽引役という構造は 長きに渡って継承(個人消費よりも設備投資という時代が長く続く)。
高度経済成長は 「三層の格差構造」 を形成する: 新鋭重化学工業 ⇔ 在来型中小企業 ⇔ 農林水産業。これが農村からの人口流出の原動力となる。
高度経済成長による人口移動が本格化。並木正吉『農村は変わる』の名フレーズ ― "都会のショーウィンドウが若者を呼ぶ"。 太平洋ベルト地帯集中型の重化学工業化路線は 「農工間(所得)格差」問題を発生させる。 この賃金格差は農村からの人口流出を生みだす原動力であり、地域間の賃金格差は 出稼ぎを もたらすことになった。
「集団就職」「金の卵」「キューポラのある街」「木綿のハンカチーフ」(太田裕美) ― 時代はここからかなり下るが、いずれも農村から都市への大移動が生んだ文化現象である。 この移動こそが、次節の「農業基本法(1961)」を生む歴史的圧力となった。
最大の政策課題が 「農工間格差」への対応。 農業基本法(1961)が制定され、「自立経営」の育成が目標となる。
離農者の跡地を残った農家に集積して規模拡大を図る。「農業構造改善事業」の実施:機械施設の導入や基盤整備の補助。「協業経営」の育成:個別経営では対応できない大きな投資への対応。
「選択的拡大」=売れるもの(野菜、畜産、果樹)への転換。需要の所得弾力性が大きいもの=優等財への転換を促進。
米価を上げることで所得を保障する → 政治米価となっていく。後の財政負担問題と米過剰の原因にもなる。
農業機械化に支えられた大規模経営展開の成長が始まる。「賃耕」(機械作業受託)→ 「請負耕作」→ 「経営受託」(農地貸借)へ ― 機械作業の受託が次第に農地の貸し借りに発展していった。
経常収支黒字化により、リーディング産業は 自動車・家庭用電気製品に交代。 農村工業立地が進み、兼業滞留構造 が形成される。
比類なき国際競争力を背景に経常収支黒字を確保(資本輸出国に転換)。 リーディング産業は 自動車・家庭用電気製品に交代。素材生産産業 → 加工組立型産業への転換。
太平洋ベルト地帯・臨海工業地帯から 内陸工業団地・農村工業立地へ。 広範な下請系列を有する産業(自動車・家電)の農村地域への進出。 全国的な 農地転用 → 「農地価格の土地価格化」(資産的農地保有へ)。
集団就職・出稼ぎから 在宅兼業へ。Ⅰ 兼 → Ⅱ 兼さらにオールⅡ兼化(兼業滞留構造へ)。 兼業化が進むことで 農工間格差は解消していく。 上記の現象は北海道を除いて、程度の差はあるが全国的なものとなる。
経常収支黒字基調=企業の内部資本蓄積の進展=過剰流動性の発生 → 地価高騰の経済的要因。
高度経済成長の帰結:対米経済摩擦の激化 → 米国の農産物市場開放圧力の高まり。 経済成長促進的な財政・金融政策 → 財政危機・インフレーション。
自立経営育成を目指した基本法農政は、3 つの致命的な失敗 に直面する。 この帰結を辿ることが本回の核心である。
離農 → 規模拡大(← 中型機械体系の成立)という路線は 地価上昇と兼業化によって阻まれる。「農地価格の土地価格化」は農家の資産保有意識を高め、農地改革の影響(一旦貸したら土地は返ってこない)と借地人保護の農地法もあって 売買だけでなく賃貸借による規模拡大も阻害。
果実・畜産が国内市場の成熟化でパイの成長が鈍化、同時に 貿易摩擦対策として市場開放が行われ、国内市場が蚕食された。外貨不足からの解放 → 貿易摩擦対策の犠牲としての農産物市場開放。この路線は現在も続いている(オレンジ・牛肉輸入自由化)。
米価偏重主義が 麦作を「安楽死」させ、米過剰局面を迎えてしまう。畜産も輸入飼料穀物に頼った 「加工型畜産」だったため穀物自給率は大きく低下していく。「食料供給の二重構造」へ。
北海道が「構造政策の優等生」と呼ばれるような農業構造を実現できたのは、 都府県を襲った 地価上昇・兼業化・農地転用というマイナスの影響を受けなかったため。 ただし、規模拡大のための投資は大きく、負債を原因とする離農問題は深刻だった。
山田洋次監督『家族』― 九州の炭鉱から北海道の酪農への家族の移動 ― この映画は、北海道の構造政策が 都府県の人口を引き受ける受け皿として機能した側面を描いている。
また、兼業農家の賃金は必ずしも高くない → 農村進出企業にとっては 国際競争力を支える 1 つの要因として作用する (政策米価は間接的には企業の賃金負担への補助となっていた一面がある)。 =農政と工業政策が間接的に連動していた構造。
米過剰問題に対応するため 1970 年から減反政策 が始まる。 「中核農業者」を中心とした生産効率化路線へ。自立経営育成の目標は喪失する。
米の生産過剰で始まった減反政策は、植林に対して補助金を支給した結果、 中山間地域の棚田では杉や檜の植林が進むことになってしまった。
山村地域の貧困化を一層助長することになる。国土保全という面からも問題であった。 当時は 農地を環境(公)共財として捉え、直接支払いを行って守っていくという考え方はなかった (EU が農産物生産過剰による財政問題に対応を取り始めるのは 1980 年代以降のこと)。
農業機械化により、「上層の支払い地代 > 下層の農業所得」という関係が形成されてきた。 これを前提とすれば、農地流動化を阻害している農地制度を改正すれば 農地は自然と上層に移動し、農業構造の改善を図ることができる。
法定更新のない 短期賃貸借として 農用地利用権という考え方が登場。 また、集落での話し合いを通じた農地流動化という路線が打ち出される。
農業基本法に基づく農政を 基本法農政と呼ぶが、 基本法農政とはどのようなものかを説明するとともに、その帰結を記しなさい。
日本の基本法農政を現在、高度経済成長を経験している国に適用する場合、 どのような点に留意して政策を実施すればよいのか具体的に記しなさい。
私が大昔に 国家公務員試験の農経職を受験した時の論述試験が上のような問題でした。 10/1 の内々定の園目の盃を交わした後に行かなかったので申し訳なく思っています。
とはいえ、基本法農政は 高度経済成長を経験している国の農業政策として使えるところが多い ように思います。そこで試験問題として「日本の基本法農政を現在、高度経済成長を経験している国に 適用する場合、どのような点に留意して政策を実施すればよいのか具体的に記しなさい」などを考えることができそうです。
基本法農政は失敗だったが、その失敗から学ぶことは多い。 現在の中国・東南アジア諸国・アフリカ諸国の農政設計に、日本の経験はそのまま教訓として転用できる。