1873 年から 20 年間の長期大不況。独占資本が形成され、19 世紀末の世界農業恐慌が各国を襲う。
ビスマルクの「麦と鉄の同盟」が示すように、自由貿易から保護への大転換が起き、第 1 次世界大戦への道が開かれていく。
欧州各国における産業革命の進展は 過剰生産・農業恐慌 を生み、 1873 年から 20 年間にわたる長期の大不況に突入する。 利潤確保のために独占体制と関税障壁が高まり、植民地獲得競争が激化 ― 帝国主義段階の始まりである。
衣類を中心とする 軽工業 → 鉄鋼業を中心とする 重工業へ。 巨額の設備投資が必要 → 競争抑制的な性格(独占資本)。← 株式会社制度による 資金集中・国内金融資本と緊密に結びついた産業資本。
ドイツは遅れた資本主義であったがゆえに いち早く独占資本を形成。 産業資本と金融資本が結びついて独占体制を形成し、国家と一体化する。 イギリスは軽工業で成功を収めたがゆえに自由貿易政策を維持。 世界貿易の決済機能を担うことで世界の中心に居座る。
イギリスの銀行は 商業金融(短期の手形割引)に特化していたのに対し、 ドイツの銀行は遅れていた産業資本を育成するための 長期資金供給を主たる業務としていた。 そのため 設備投資が莫大で投資回収に長期間を要する鉄鋼業への融資を円滑に行うことができた。
この「英=商業金融/独=産業金融」の違いが、世紀末の独占資本形成の速度差を決定する。 ドイツが「後発の先進効果」を発揮できたのは、銀行制度のあり方そのものが違っていたからである。
重化学工業化により 固定資本が巨大化。不況下でも稼働率を維持しようとして 供給過剰 → 価格低下の悪循環 に陥り、独占体制の形成で市場を支配する。
巨大な固定資本 → 不況下でも低落した価格水準の下で稼働率を維持し、資本の保全をはかる
→ 供給過剰 → 価格低下 → 供給過剰 → 価格低下 → 供給過剰 → … の悪循環
→ そこから脱却するため 独占的な協定や生産調整で市場を支配(独占体制)
早くから 個人企業が展開。個人企業が対応するため小生産者的な構造が温存 → 独占体制形成の遅れ。
鉄道業など莫大な資金を必要とする産業が工業化を牽引。個人企業の資金では対応できない → 株式会社の普及。「後発性の先進効果」を発揮して急速にイギリスにキャッチアップ。
ドイツ「特殊ドイツ銀行型」:増資した株式を引き受けて証券市場で販売、創業利潤を含めて回収 → 銀行と産業の密着=金融資本(ヒルファーディング)。生産制限・カルテル・シンジケート。
アメリカ:個人銀行(投資銀行):通貨安定のため連邦政府は貸付を制限 → 産業金融に制約。貸付制限のない個人銀行(モルガン商会など)が鉄道・鉄鋼業に融資 → 個人銀行が産業企業の経営に積極的に参加。モルガン王国の US スティール設立(1901)。
ドイツのキャッチアップが進む中でも、イギリスは 多角的な三角決済機構 を構築し、 世界貿易の中心 としての地位を維持する。
綿製品・アヘン・茶によるアジア三角貿易・決済関係 ← 茶輸入で大幅入超の対中国貿易を、 綿製品の輸出増大で均衡を図るが失敗。
綿製品・コーヒー・原綿によるイギリス・南米・アメリカの三角貿易・決済関係。 アメリカに対しては大幅な赤字 ← この決済のために南米が重要な役割を果たす。
貿易収支は 赤字基調 ← 貿易外収支の貿易関係業務と海運業収入で赤字を補填 (少額の黒字は欧米の鉄道部門に投資される)。
⇒ 貿易収支赤字は世界に 需要増加と資金供給 をもたらし、海外の経済発展に繋がる → イギリス製品に対する追加的需要を呼び起こす(← 海外投資は鉄道資材購入) ⇒ 海外債権残高の累積 → 海外投資収益の増加 → 海外投資の増加 → 海外の経済発展。
イギリスの貿易収支は赤字でも、世界経済に資金を供給することで 海外債権が累積し、 その投資収益が経常収支を黒字に保つ ― この仕組みが 「基軸通貨国」の核心である。
この構造は 20 世紀のアメリカ(ドル基軸通貨制)にもそのまま継承される。 貿易赤字を計上しながらも世界経済の資金循環の要として君臨する ― <貿易赤字 = 経済の弱さ>という単純な図式では捉えきれない、基軸通貨国の特権がここにある。
アメリカ農業の急成長と 交通革命(鉄道・スエズ運河・パナマ運河) が 安価な穀物をヨーロッパに送り込み、穀物価格が 20 年間で半分に低下 ― 世界農業恐慌が発生する。
19 世紀半ば、イギリスを中心とした農工国際分業体制の成立。ヨーロッパの好況 (穀物輸入・資本輸出・移民労働力供給)→ アメリカ農業の拡大。
→ 穀物輸出力が大幅に増加(1860〜1870 年代にかけて 6 倍に増加・世界の 40% のシェアを占める)。 ロシア・インドの飢餓輸出。
⇒ 世界穀物市場の形成(← アメリカの低価格穀物が国際市場価格を規制)。
穀物価格が 20 年間で半分に低下 → 高率関税による自国農業保護
→ 関税による農業(農民)保護政策の始まり(国家による介入)
→ 「新大陸 vs 旧大陸」という構図は現在に引き継がれている
農業恐慌に対する対応は a:縮小/b:転換/c:保護 の 3 パターン。 実際にはミックスして進展するが、どのパターンが優勢かが各国の農業構造を決定する。
農産物輸入を増大させて自国農業を縮小、農業者を離農させて工業労働ないしは新大陸移民へ。 農地は穀作以外の 牧草地などの粗放農業へ転換させる。
穀作は相対的に縮小、安い穀物を 飼料とした畜産へ転換、 あるいは 園芸等の集約農業へ転換するという対応。
保護貿易に転じて輸入穀物に関税をかけ、従来通りの農業と農民を維持 しようとする対応。国家統合と体制維持のための農民(小農)保護政策。
パターン a(イギリス)が選べたのは、農民層分解が完了して 農業労働者・小作農を工業や移民へ 移動させる「受け皿」があったから。
パターン c(ドイツ・フランス)を選ばざるを得なかったのは、大量の零細農民を温存していたため ― 離農を強いれば社会が崩壊するし、社会主義・共産主義勢力に農民を奪われる。 国家統合のために 農民を体制側に引きつける必要があった。
実際には比重の違いはあるが、3 つがミックスした動きが各国で進展する ― パターン論は二者択一ではなく、配合の問題として読むのが正しい。
ドイツでは 穀物輸出ユンカーと製鉄業者が連帯 し、 1879 年のビスマルク関税で 「麦と鉄の同盟」 が成立。 自由貿易から農業保護への決定的転換が起きる。
1870 年代:ロシア・東欧からの穀物輸入が急増 → ドイツ国内農業を圧迫。 自由貿易政策から農業保護政策へ転換。関税障壁を高めることで国内農業を国際競争から遮断。
1879 年ビスマルク関税の実施。農産物関税と鉄鋼製品関税を抱き合わせて導入=「麦と鉄の同盟」。 ルール地方の鉄鋼資本家と東ドイツユンカーの政治的妥協の産物。 農業は保護・工業はダンピング輸出という体制。諸外国から 報復関税を受ける。
ユンカー経営だけでなく 小農保護という性格を有する。 小農の没落を防ぎ体制側に引きつけることが求められた(例えば 小農に対する低利融資の実施など)。 社会政策的色彩を帯びた農業政策。社会民主主義・共産主義勢力の台頭。
労働者が農民を獲得するか、体制が農民を獲得するか、という争いの中での 小農保護政策と社会政策(年金保険制度)の実施。
5〜20ha 層が増加。下層と上層が減少=中農標準化現象。
上層経営解体の要因:① 海外市場の有利性の喪失(← アメリカ、ロシア、東欧の穀物輸出に負ける)と ② 農業労働力不足(← 鉄鋼業展開による男子成人労働力市場の拡大・農業賃金の高騰)。 後者が決定的。
1870 年以降の急速な工業化はユンカーの存在基盤であった 低賃金労働力調達機構を完全に破壊 してしまった。5ha 未満の零細農はこの労働市場の展開に包摂されていく。
かつてのイギリスのように 農業資本家による農業生産という展望は描けなくなる。 資本主義による完全な農業の把握は困難に ― 家族経営(「小農」)として農業は維持されていかざるを得ない構造が定着する。
ビスマルクの保護関税は単に ユンカーの利益を守るためのものではなかった。 当時、ドイツでは 社会民主党が労働者と農民を糾合して勢力を伸ばしていた。 体制側は 小農を保護することで彼らを社会主義陣営から引き離す必要があった。
小農への低利融資、年金保険制度、農業協同組合の育成 ― これらは「経済政策」というより 「社会政策」であり、「労働者が農民を獲得するか、体制が農民を獲得するか」 という政治闘争の中で生まれた。これは現代のあらゆる農業保護政策の原型である。
イギリスは第 1 次世界大戦まで自由貿易体制を堅持する。代償は 小麦自給率 22% への低下 と 地主階級の弱体化(「地代恐慌」)であった。
様々な動き(例えばイギリス植民地との間での 特恵関税制度の創設構想)はあったが、 第 1 次世界大戦までイギリスは自由貿易体制を堅持。 資本取引の自由を求める産業資本・銀行資本の力が強かった。 農業保護政策は実施されない(農業保護政策への転換は第 1 次世界大戦後)。
海外農産物輸入急増に伴う 農産物価格の低落。 穀物自給率の大幅低下:1909〜1913 年には 22% にまで低下。 国内農業の海外への押し出しと穀作から畜産への転換。
穀物価格の低落 → 収益減少・穀物部門縮小 → 農業資本家破産 → 地主に土地返却 → 地代低下 → 「地代恐慌」 → 耕作放棄地の増大・永久放牧地・牧畜への転換 (小麦作付面積減少:1874 年 363 万エーカー → 1885 年 248 万エーカー)。
農業資本家と地主との力関係の変化:地主の弱体化(← 地代低下)。
1883 年 土地改良法改正による テナント・ライト保障(有益費償還)。 農業資本家による土地改良投資の(残存価値の)回収を保障。
借地農が暗渠排水工事を行い、その耐用年数を 30 年とした時、10 年で契約を解除する場合は 残り 20 年についての工事費用を地主に支払うことを保障(← 農業資本家による土地改良の促進を狙う)。
1885 年以降「中農標準化傾向」に転換。20〜100(300)エーカー層が一貫して増加。
小経営の復活(revival of small holdings)。雇用に基礎を置いた資本家的経営の解体 (ユンカー解体との類似性)。自家労働力の完全燃焼を目指す中農層の強靭性。
帝国主義段階の後発国は、国家主導の重化学工業化 と 農民の劣悪な状態による低賃金強蓄積 で先進国にキャッチアップしようとする。
消費財を中心とする 中小経営の広範な展開 → 早期の工業化のため重化学工業化は遅れをとる。
国内資金は投資先を求めて 外国証券へ向かう(高利貸金融資本)。
国家主導の重化学工業化=外国の資本と技術を導入。
外貨獲得産業に 過重な負担をかけた産業化:ロシア=穀物輸出、イタリア・日本=生糸輸出。
重化学工業化は低位にとどまる → 農民層分解の停滞・国民経済の農業的な性格の維持。
農民に不利な体制:ロシア=雇役制、イタリア=折半小作制、日本=地主制。 → 農民の劣悪な状態が 低賃金の強蓄積を支える。 → 農業問題を外部に転嫁するため早くから帝国主義化。
ロシア・イタリア・日本は 「農民を犠牲にして工業化を急ぐ」という同じ戦略を採った。 日本の場合、それは 地主制による高率現物小作料を通じて行われた。 この構造が、後に 満州移民・植民地獲得競争・最終的に第二次世界大戦へと繋がる。
「農業問題を外部に転嫁する」とは、国内では解決できない過剰人口・低賃金構造を 植民地と移民で逃すこと。これが帝国主義の本質的な動因の一つである。 現代の日本が外国人技能実習生に依存する構造も、形を変えた「外部転嫁」と読むことができる。
自由貿易と農工分業の世界システムは、独占資本の形成と農業保護への回帰 によって 内部から崩壊し、植民地獲得競争・帝国間対立を経て 第 1 次世界大戦 へと至る。
イギリスを「世界の工場」とする農工分業
自由貿易・金本位制・夜警国家
軽工業(綿)が主導
個人企業・小生産者構造
農工分業の攪乱 → 各国の 農業自給政策
保護関税・植民地獲得・社会政策
重工業(鉄鋼)が主導
株式会社・独占資本・金融資本
19 世紀末の世界農業恐慌の発生要因を説明するとともに、 欧州各国の対応をそれぞれの国の 農業構造と関連づけて記しなさい。
衝撃を受けた時に、それぞれの本質が露呈(顕現)する。
数年前の 新型コロナウイルス感染という強力なインパクトに対する各国の状況に、
それをみることができるかもしれない。
今回の トランプ関税の衝撃に各国はどう対応するだろうか?
19 世紀末の世界農業恐慌が示すのは、「危機の局面で各国は構造に従って対応する」 という法則性である。同じ衝撃でも、農民を多数抱える国は保護に走り、産業構造が転換可能な国は 縮小・転換を選ぶ。100 年以上前のヨーロッパで起きたことが、現代のあらゆる経済危機の分析枠組みとしてそのまま有効である。